老後の楽しみ




その人は、突然帰ってきた。

「父様!」

仮縫いの衣装もそのままに、娘は彼に抱きついた。彼も優しく受け止める。
「どうして・・・?」
うまく言葉にならず、それだけ問うのがやっとだった。互いの顔が見えるように、少し体を離す。彼が微笑む。
「結婚するのでしょう? おめでとう、ピアニィ」
そう言って、彼は娘の頬を撫でた。
「・・・!」
感極まって、娘は再び目の前の父親に抱きついた。


 *****



「まったく。所在地くらいはっきりさせておいてください」
ため息混じりにシリスは言った。
彼の目の前に座り、優雅にカップを傾けているのは、彼の父親――スレート公爵ロイスであった。
ちなみにこの公爵、どういうわけか、治水事業の専門家である。王都周辺での治水工事があらかた終わると、今度は地方へと仕事の場を移していった。それがかれこれ3年半前である。その後、国内各地を移動して回っていたため、なかなか居場所のつかめない人物として有名になってしまった。

息子の切実な訴えに対し、スレート公爵はまったく悪びれずに答えた。
「別に構わないでしょう。結婚式にさえ出られれば、一応親の役割を果たしたことにはなりますよ」
「その結婚式の、招待状を出せなくて困ったから言っているんです」
シリスの切り返しに、公爵は不思議そうに首をかしげた――見る人が見れば、それは非常にわざとらしい仕草であった。
「招待状? そんなもの必要ありません」
「?」
シリスがいぶかしげに眉を寄せる。無言の問いかけに、スレート公爵はにっこりして答えた。
「国内にいれば事足ります。王の結婚ともなれば、国中どこでも大騒ぎになるでしょうから」
「・・・」
父の言葉に息子は絶句した。
つまり、王の結婚は、イコール娘の結婚、ということだ。
シリスは、目眩を抑えながら確認する。
「待ってください、父上。まさか、そういった前提で地方を飛び回りはじめたのですか?」
「ええ、そうですよ」
あっさりうなずいた父親に、シリスはそれ以上言葉を返せなかった。
ピアニィがリィヤードと結婚することを見越して、地方各地での仕事をはじめたというのか。彼が王都を去ったのは、3年半前。その頃すでに、二人の将来を確信していたわけだ。

「何を今更驚いたような顔をしているんですか、シリス」
ロイスは慰めるような声で言った。
「あなたにも、分かっていたことでしょう?」
まったくもってその通りだったので、シリスはますますうなだれた。

「それに、私だって、そこまで確信があったわけではないのですよ」
公爵は続ける。
「もしかしたら、ピアニィがリィ坊に愛想を尽かしているかもしれないなあと考えなくもありませんでしたし。そうなっていたら、結婚式に出席するのは難しかったでしょうね。仕事も、父親という立場も両立させるには、やはりあの二人が結婚してくれるのが一番ありがたかったんですよね」
もはや相槌を打つ気力すらない息子を無視して、独り言のように言う。
「いや、あの子が懐の広い人間に育ってくれて父親冥利に尽きます。本当に、あの方を選んでくれてよかった」
とことん身勝手な父親であった。
しかも、この時の彼のセリフには、より野心的な意味が込められていたのである。



 *****

フォンタデール城内で3番目に広い部屋。
ここはいわゆる“謁見の間”にあたる部屋だったが、今この時、玉座は空席であった。
本来そこに座すべき資格を持った人間――フォンタデール国王リィヤードは、玉座からおり、壮年の紳士と相対していた。

リィヤード青年は、極度に緊張した面持ちで口を開いた。
「お嬢さんを私にください」

「駄目です」
『お嬢さん』の父親は、その申し出を神速で却下した。

リィヤードは緊張を吹き飛ばし、みっともないほど見事にうろたえた。
「えええっっ!? あの、でも、しかし、そんなぁ・・・」
そんな一国の主を見やって、スレート公爵は相好を崩した。
「冗談です。ええ、あの子が望むなら、私は反対しません」
にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべつつ、あっさりとうなずいてみせる。
(・・・・・遊ばれている・・)
リィヤードは軽く脱力した。いや、思い切り真に受けて涙目になってしまう自分に原因があるのかもしれないが。


リィヤードがそんなことを考えていたとき、正面に立っていた公爵が、急にすっと一歩引いて腰を落とした。
「つつしんでお祝い申し上げます、リィヤード陛下」
その場に片膝をつき、丁寧な動きで臣下の最敬礼をとる。
「公爵・・・」
リィヤードは、そっと一歩歩み寄り、床についた公爵の手を取って立たせた。
「ありがとうございます。必ず、彼女を・・・ピアニィ嬢を幸せにします」
リィヤードがおごそかに告げると、スレート公爵はうなずいた。そして、大真面目な顔で言った。

「あの子に捨てられないよう頑張ってください、リィ坊」
「・・・・その呼び方、そろそろやめていただけませんか」
『リィ坊』というのは、リィヤードの幼い頃の愛称である。といっても、こんな呼び方をするのは、スレート公爵ただ一人だったのだが。
無礼を無礼とも思っていないのか、スレート公爵は悪びれずに言った。
「いいではないですか。あなたは私の息子になるわけですし」
「うわぁ・・・」
思わず嫌そうな声がもれていた。実父があれで、義父がこれ。タイプは違うが、どちらも苦手だ。しかも、義兄は・・・何だか逃げ場がない気がする。
「おや、こんな父親は嫌だ、という顔ですね」
スレート公爵が、わざとらしく片眉を上げた。
「それでは仕方がない。非常に残念です。この婚約は無効と言うことで」
「ままま待ってください! 私の義父になってください! 是非にでも!」
本気で顔色をなくしているリィヤードに向かって、スレート公爵は重々しくうなずいた。
「そうですか。そこまで言われては、あなたの父にならないわけにはまいりませんね。つつしんで拝命いたしましょう」
「はい・・・お願いします」

将来の舅を前に、リィヤードはがっくりとうなだれた。
完敗だった


「あ、それから、一つお願いが」
「な、何ですか」
どんな無理難題をふっかけられるのかと、リィヤードはつい身構えてしまう。そんな相手の反応など意に返さず、公爵はその顔に笑みをたたえて告げた。
「早く子どもをつくってくださいね、陛下」
「こ、こどっ・・・」
リィヤードは薄っすらと赤くなった。
「えーと、・・・ぜ、善処します」
反応に困り、曖昧に答える。スレート公爵は、にっこりと笑ったままうなずいた。
「孫の面倒をみるのが、私の老後の夢なのです」

「ほう、お前にしてはずいぶんとまた殊勝な望みだな」
それまで黙していたザフィルが、興味を引かれたように身を乗り出す。実はこの人、玉座の隣席――王太子の座に陣取って、一連のやり取りをにやにやしながら見物していたのである。
口をはさんできた腐れ縁の友を見やり、公爵は再びうなずいた。
「孫が生まれたら、できる限りすみやかに今の仕事を引退するつもりです」
「へえぇ。あれほど情熱を注いどる仕事を、孫可愛さに投げうるのか?」
「当然です。もっとやりがいのある仕事を得るのですから」
リィヤードは軽い感動を覚えた。まさか将来の義父がこれほどまでに孫を想ってくれる人だとは。
だが、その感動は少々早とちりというものだった。

「娘の選んだ相手があなたで、私は心底安堵いたしました。本当に、あの子は最善の選択をしてくれました」
ここまでならば、大変感動的な科白に聞こえなくもないのだが。
「父親の夢を叶える手助けをしてくれるなんて、あんなに親孝行な娘は他におりません」
ここだけならば、美しい親子愛の話に聞こえなくもないのだが。
公爵の本音は、その次の一言だった。

「娘が王妃で、息子が王佐。これで孫が王位に就けば、フォンタデールはスレート公爵家の掌中に収まったも同然です」


「・・・・え!? こ、公爵?」
次期国王は早々に手懐けておかなければ、そのためには祖父自ら英才教育を・・・などと不穏な発言をたれ流し続ける将来の義父を、現国王は冷や汗だらだらになりながら凝視していた。
「外戚政治に賭ける、第二の人生・・・ああ、楽しみですねぇ。陛下、孫がある程度の年齢になったら、すみやかに退位してくだいさいね。あとのことはこの私にお任せを」
無理だ、任せられるわけがない!
やる気満々の公爵を前に、フォンタデールの将来に思いをはせつつ、リィヤードは内心頭を抱えるのだった。


 *****


「・・・陛下? どうかなさいました?」
執務室に戻ってからもスレート公爵の野望に頭を抱えていたリィヤードは、声を掛けられるまで入室者に意識が向かなかった。
「・・あれ? ピアニィ?」
ぼんやりと顔を上げたリィヤードを見て、ピアニィは顔を曇らせた。
「お疲れなのですね。式典が近いですから、無理もないわ。さあ、今日は早く休んでください」
肩に手をそえうながされ、リィヤードは半ばぼんやりとしたまま立ち上がる。それから、心配そうに見上げてくる瞳を見ていたら、急にこみ上げてくるものがあった。

「――ああ、アニィ!」
「え? え、ええっ!? に、兄様!?」
突然抱きすくめられ、ピアニィは抵抗も忘れて固まった。
「君の側にいるためなら、どんな苦難も乗り越えてみせるよ!」
力強く宣言されたところで、ピアニィにわけがわかるはずもなく。
ただ、何やら切羽詰っているようだということだけは察することが出来たので、ピアニィは大人しく婚約者の胸に頭を預けた。

「あの、兄様・・・悩みがあるなら、何でも言ってくださいね。私にできることがあったら、何でもしますから」
「・・・・・うん、ありがとう、アニィ」

今の悩みを解決するには――つまり、スレート公爵の野望を阻止するには、ピアニィとの結婚を取りやめるか、彼女との間に子どもをもうけないかのどちらかを選択するのが手っ取り早いわけなのだけれど。
どちらも心底嫌だったので、リィヤードは覚悟を決めて抱きしめる腕に力を入れた。








   
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