兄の忠告
――コンコン。
控えめなノックの音に、書物から顔を上げる。夜半過ぎの非常識な訪問客に対して、シリスは微塵の戸惑いも感じなかった。
なぜなら、彼は待っていたからだ。
ノックからさほど間を置かず開かれた扉に、むしろ訪問客たちの方がぎょっとした。
部屋の主が夜着ではなく昼間の服装のままだったこともまた、彼らを驚かせた。
「・・・・あ、えーと・・起きていたのか? シリス」
訪問客の一人――リィヤードは、遠慮がちに問いかけた。
「ええ、起きていました」
シリスは、当然とばかりにうなずく。
「それで? 話は済んだようですね」
色々と省略された質問の言葉に、リィヤードはひるんだ。
とりあえず、求婚したことを報告するつもりで、王佐の部屋を訪ねたのだが。
どうも、これは――見抜かれている。
余計な説明は不要なようだ。そう判断し、観念して正直にうなずいた。
リィヤードの返事を確認すると、シリスはもう一人の訪問客――ピアニィに視線を移した。
「ピアニィ。そこに立って、一周して見せなさい」
「え?」
指示の意図が分からず、ピアニィは聞き返す。
「いいから、早く」
兄に急かされ、首をかしげつつも少し距離をとり、くるりとターンして見せた。
妹の全身をざっと見て、シリスは言った。
「右のリボンと、後ろの裾を直しなさい」
「あ、はい」
ピアニィは、慌ててドレスを見下ろした。あちこち確認しつつ、指摘された箇所を直す。
そんな妹を眺めながら、シリスは何気なく言った。
「まあ、この時間にいらしたということは、未遂、といったところでしょう」
「!」
その言葉に反応し、リィヤードが真っ赤になる。
「いや、シリス、今夜はその・・・」
焦って口をぱくぱくさせるが、動きの割に出てくる言葉は少なかった。
動揺するリィヤードに向き直り、シリスはわずかに苦笑した。
「分かっています。私はあなたを信用していますからね、リィヤード」
リィヤードはシリスをまじまじと見つめた。彼がリィヤードを名で呼ぶのは珍しいことだ。
つまり、これは私的な発言――王佐ではなく、ピアニィの兄としての言葉なのだろう。
リィヤードは神妙にうなずいた。
「ありがとう、シリス」
礼の言葉に、シリスもうなずきを返す。それから、妹を横目で意味ありげに見た。
「もっとも、ただ話をしていた、というわけでもなさそうですが」
ピアニィは、ドレスについたまだ新しいしわと格闘している。
「あ、それは、その、お茶くらいは飲んだけど・・・」
再び気まずくなり、リィヤードは言葉をにごす。
「お茶、ですか」
シリスは一瞬考え込んでから、妹を手招いた。
「ちょっと来なさい、ピアニィ」
「ん、どうしたの?」
ドレスの点検を終えたピアニィは、素直に兄のもとへ歩み寄る。すぐ近くまで来たピアニィに、シリスは顔を近づけた。
「な、何?」
ピアニィは思わず身を引く。そんな妹の反応に構わず、シリスはさらに鼻先を寄せた。それから、常よりいくぶん低い声で呼びかける。
「・・・・・リィヤード」
「な、何だ?」
ぎくりとして、リィヤードは半歩下がった。ゆっくりと振り返ったシリスの顔からは、表情が消えていた。リィヤードの背筋に悪寒が走る。
「あなた、ピアニィにアルコールを飲ませましたね?」
「え? あ、ああ、そういえば、香茶に少し入れたな」
リィヤードはびくびくしながら肯定する。その答えに、シリスは顔をしかめるでもなく、無表情なまま、ただ静かな目でリィヤードを見つめる。
怖い。シリスの視線が怖い。
同じように感じているのか、ピアニィは戸惑ったような顔で二人を見ている。
こう着状態は、シリスのため息で終わった。思い切り眉根を寄せ、眉間に手を当てる。
「まったく。まだ早いと言っているのに」
「そんなことないわ。お酒くらい平気よ」
ピアニィはやっと口をはさんだ。シリスは眉間から手を離し、抗議する妹の頭の上に置く。
「母上は、酒が弱かったんだ。お前もそういう体質かもしれないだろう」
「飲んでみなければ分からないじゃない」
ピアニィは子どものように口を尖らせた。
「酔いつぶれてからでは遅いんだぞ。意識がなくなったら、何があっても分からないからな」
ピアニィをさとしながら、目を細めてリィヤードを見やる。シリスの言わんとするところを察し、リィヤードは抗議しようと口を開きかけた。しかし、香茶の件をピアニィに誤解されては困ると思い直し、しぶしぶ口をつぐんだ。
前々から思っていたが、シリスと自分は、社会的地位と実際の力関係が逆転している。
長い付き合いを通して、それも仕方ないかと、リィヤードは半ば諦めていた。
シリスは想い人の兄で、しかも なぜだか 気持ちが彼に ばれていたらしいから――
そこまで考えて、リィヤードは固まった。
ひょっとしなくても、ピアニィと結婚したら、シリスは自分の義兄になるのか?
ますます頭が上がらなくなりそうな予感に、リィヤードは軽く落ち込んだ。
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