公然たる申し入れ



口実は、必要なかった。

「失礼いたします!」

議事室の扉が、ものすごい勢いで開け放たれる。集っていた面々は、一斉に視線を向けた。
いつもより人数が多い。
それもそのはず、今日はこれから、オーベルジーヌの代表者をまじえ、外交に関する話し合いが持たれる予定なのだ。
オーベルジーヌ側からはサイラスをはじめとする外交官たちが、フォンタデール側からは国王と王佐、その他に官員が数人出席している。

彼らの視線の集まる先で、ピアニィは深く頭を下げた。それから、ためらいなく一番奥の席――王の座へと歩み寄る。

彼女がたどり着く前にと、リィヤードは慌てて隣の席に顔を寄せた。
「・・・ピアニィには言わない約束だろう、シリス!」
小声で抗議する怪我人に、王佐はしれっと答えた。
「もらしておりませんよ。私は」
その悪びれない態度に、リィヤードは苦々しい視線を送る。
「他の者の口止めはしなかったのか」
「そのようなご指示はありませんでしたので」
「忠実すぎて涙が出そうだ」
「お褒めに預かり光栄に存じます」
らしくなく毒づく主に見せ付けるように、シリスはことさらにっこりと笑んだ。

そうこうしているうちに、ピアニィは王のすぐ横まで来た。心なしこわばった顔で、口を開く。
「――陛下、」
「あっ、ああ、おはようピアニィ。ええと、今朝のことなら心配いらないよ。その、ちょっと散歩していたら、疲れてしまったようで、何と言うか、そう、運動不足はよくないね。以後気をつけるよ。だから大丈夫、わざわざありがとう」
ピアニィの言葉をさえぎって、リィヤードは一気に言い切った。それから、再度ピアニィが口を開きかけたのを見て、再び先手を打つ。
「あのっ、もうすぐ会合が始まるんだ。すまないが、出てくれないか」
言いながら、リィヤードは今朝の失態を思い出し、それをピアニィに知られた恥ずかしさで、まともに顔を上げられなかった。それが相手にそっけない印象を抱かせるとも気づかずに。
ピアニィは一瞬傷ついたような顔をしたが、すぐに頭を垂れてリィヤードのもとを離れた。



扉へ向かう途中、サイラスの席を通り過ぎようとしたとき、ピアニィは急に思い出したように口を開いた。
「あ、そうだわ。サイラス殿下」
「はい?」
「後でちょっとお時間をいただけませんか? その、・・お話ししたいことがあって」
「ああ、かまいませんよ」
口ごもるピアニィを見て、リィヤードに関する話だと察し、サイラスは快く承諾した。



そこでリィヤードは、はっと顔を上げた。
約束を交わすピアニィとサイラスを見て、今朝庭で見た情景が思い起こされる。胸の中に、たちまち暗雲が広がった。
もう、手遅れなのか? 君は離れていってしまうのだろうか?
(・・・いいや)
頭の中を、様々な人の言葉が過ぎる。庭で聞いた二人の会話。父親の冗句。シリスの指摘。・・・あれはたしか、ピアニィが執務室で眠ってしまったときに――。
リィヤードは、何かにとりつかれたように突然立ち上がると、早足でピアニィに近付いた。


「――アニィ」
ぐっと腕を引かれ、ピアニィはリィヤードを振り返った。その唐突な行動と、真剣な表情に驚く。すぐ近くにいたサイラスも、何事かと軽く目をみはった。ピアニィは、戸惑いながら口を開く。
「あの、・・・陛下?」
リィヤードの表情は、それまで見たことのないような、不思議な静かさをたたえていた。そして、やはり不思議と静かな声で、はっきりと言った。

「今夜、私の部屋に来てくれないか?」

サイラスが息をのんだ。ピアニィは不思議そうに首をかしげる。リィヤードは、目をそらさなかった。
議事室にいた誰もが、声を奪われたかのように固まった。部屋に沈黙が落ちる。

やがて、返事を待つ視線に耐え切れなくなったように、ピアニィは訳が分からないながらも小さく口を動かした。
「あの、・・・・はい。承知しました」
「ありがとう。待ってる」

そこでやっと、リィヤードは表情をゆるめた。その顔に、いつもの幼馴染が戻ったように感じ、ピアニィはほっとして――直後、目をみはった。
その場に居合わせたリィヤード以外の全員が、同じように驚愕を顔に浮かべる。
常の彼を知る者にとっては信じられないことに、王は公衆の面前で――スレート公爵令嬢の左手に、唇を落としたのだ。









   
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