わがままの準備



その日ピアニィは、朝早くから王宮の庭園に来ていた。
腰を折り、上半身をかがめ、枝先のつぼみを観察する。

もう少し。あと少し。
この花がほころんだら――。

「いよいよ明日ですね」
背後からの声に、ピアニィは驚かなかった。身を起こし、ゆっくりと振り返る。そこには、予想通りの人物が立っていた。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます」
微笑みながらサイラスが歩み寄ってくる。彼はピアニィの隣に並ぶと、例のつぼみに顔を近づけた。
「ああ、やっぱり。もう明日にでも咲きますよ」
ピアニィは安心したように表情をゆるめた。
「本当に? ああ、よかった。ありがとうございます、殿下」
「私が咲かせるわけではありませんよ」
サイラスは照れたように笑った。


彼女がここにいるであろうことは、サイラスには分かっていた。花が咲くまで、彼女は毎日来るだろう、と。 何となく、そんな気がした。
だから、会うためにここへ来た。
昨日ライリーアと仲たがいしてから、ずっと気になっていたことがあったのだ。


サイラスは、何気ないふうに言った。
「一つお聞きしてもよろしいですか」
花を見ていたピアニィが、サイラスに顔を向ける。
「はい、何でしょう」
「私がこの城に着いた日、前庭で、あなたは陛下のことを『兄様』と呼んでいらした」
ピアニィはぱっと赤くなった。聞かれていたとは思わなかったのだ。
「ご兄妹ではないのに、なぜ『兄様』と?」
「それは・・・幼い頃からのくせです。陛下とは幼馴染で、私にとって兄のような存在でしたから」
その過去形の言い方に、サイラスはひっかかりを覚えた。
「なるほど、兄妹のような関係だったわけですね。では、今は?」
「今?」
「今も兄のように思っていらっしゃる?」
「それは・・・」
ピアニィは答えに窮した。考えるふりをしてうつむいたが、耳の赤さは隠せない。
なるほど、と納得したような顔で、サイラスはさらっと言った。

「あなたも陛下のことが好きなんですね」
その言葉は、質問でも確認でもなかった。ちょうど、あなたの髪の毛は栗色ですね、というのと同じように、ただ事実を述べたものだった。

「!?」
ピアニィは息をのんだ。首まで真っ赤に染める。
声もなく口を開閉する少女を見て、サイラスはしまった、と口を押さえた。ついぽろっと考えを口にしてしまったのだ。

二人の間に、気まずい空気が流れる。しかし、やがてはっとしたようにピアニィが疑問を口にした。
「あっあの、さっき『あなたも』っておっしゃいました? それってどういう・・」
混乱しながらも、ピアニィは鋭い。
「ああ、いえ、何でもないんです。気にしないでください」
自分の口からリィヤードの気持ちを話すわけにはいかない。サイラスは慌てて強引にごまかした。 それ以上追求されないよう、つぼみに目を移す。そのせいで、サイラスには、 心持ち蒼ざめたピアニィの表情は見えなかった。
サイラスは話題を当たりさわりのないものに変える。
「あなたは昨日の朝もこちらに?」
「えっ?・・・あ、ええ、はい。その、つぼみが気になりましたし」
ピアニィがあいまいにうなずく。その答えはぎこちなかったが、つぼみを観察していたサイラスは気にせず言葉を返した。
「そんなに気にかけていらっしゃるとは、よほどこの花がお好きなんですね」
そこで、ピアニィは唐突に押し黙った。サイラスはぎくりとして、葉に触れたまま手を止める。また何か気にさわったのだろうか。

「・・この花だけではないんです」
「え?」
しばしの沈黙の後、ぽつりとこぼれた言葉に振り返る。ピアニィは小さく苦笑していた。その表情は、彼女を少し大人に見せた。
「横手にある香草園も薬草園も、裏庭のリンゴやスグリも、この庭のものならほとんど把握しています。この前申し上げた通り、毎朝この庭に来て、見て回っていますから。もちろん、私の力だけではありませんけれど」
庭師たちの協力を得ているのです、と、いたずらをばらすように言った。

「この花だけでなく、この庭全部を気にかけている、と?」
「はい。・・・・いいえ」
一度答えた後、ピアニィは少し考えて言い直した。
「?」
意図が分からず、サイラスは首をかしげた。ピアニィが補足する。
「この庭だけではありません」
「ええと、じゃあ、王宮も?」
「それから、王都も、です」
サイラスは、ピアニィの顔をまじまじと見つめた。この少女は一体何が言いたいのだろう?
そんなサイラスの視線にかまわず、ピアニィは淡々と言った。
「王都に関しても、全部ではないですけど、主な情報はだいたい把握しています」
「それは・・・たいしたものですね」
思わぬ話の流れに戸惑い、サイラスはあいまいに返した。その横で、少女は花に目を落とす。サイラスの反応には少しも注意を払っていないようだった。
「だって、そうでもしないと、理由が不足してしまうわ」
「理由?」
「陛下を呼び出すための理由。つまり、口実です」
「呼び出す、というと・・・」
「仕事を中断させるためです」
静かに語るピアニィの口調は、ほとんど独り言のようだった。

「陛下は仕事のしすぎなんです。休憩も入れないで、止められるまで仕事を続けるわ。いいえ、止められたってやめないこともあるくらい。だから、みんな心配なのです」
サイラスは、もはや黙って彼女の話を聞くことにした。
「それで私、いろいろと理由をつけて陛下を仕事から離そうと思って。お菓子を焼いたから食べようとか、ドレスを新調したから見てほしいとか、新しい料理人が入ったからあいさつに行こうとか。どうでもいいことばかりですけど、ただ仕事をやめろって言うよりずっと効果があるんですよ。私のために仕事を中断する、という体裁をとった方が、休憩を取りやすいかもしれませんし」

ピアニィはため息を一つ落とし、続けた。
「ところが、それも最近うまくいかなくて。気が散って、いい案が思いつかなくなっているみたい。でも」
ピアニィは少し身をかがめた。
「でも、この花が咲いてくれたら」
言いながら、つぼみに手を伸ばす。
「うまくやろうと思うの。花が咲きました、見に行きましょう、って、兄様に言うわ」

「陛下はご存じないのでしょう? その、あなたの努力を」
サイラスは、おもむろに口をはさんだ。
「いえ、努力だなんて、そんな大変なものじゃありません」
ピアニィはつぼみに目を落としたまま、淡く微笑む。
「私は、私自身の意思で、兄様のために動くと決めたのですもの」
そう言い切った彼女は美しかった。肩にかかる巻き毛も、つぼみをなでる指も、うつむき加減の横顔も。
そして、おそらくその美しい一つ一つは、すべて彼のためにあるのだ。



「あなたは本当に、陛下のことが好きなんですね」
サイラスが優しく微笑むのを見て、ピアニィははっとした。話しすぎてしまったことにはじめて気づく。
「あ、あのっ、今言ったことは誰にも・・」
「ああ、もちろん他言などしませんよ。ご安心ください。話してくださってありがとうございます」
サイラスが当然のように請け負ったので、ピアニィはほっと息をついた。 彼がそういうならば、きっとリィヤードに秘密がもれることはないだろう。
この人が異国の人でよかったかもしれない、と思った。

安心した途端、ピアニィはふと思いついた。
(あ、この人なら丁度いいかもしれない・・・)
ずっと気になっていて、けれど誰にも相談できなかったことがある。ピアニィは思い切って口を開いた。
「あの、こんなことをお聞きするのは、とても恥ずかしいんですけれど・・第一、失礼に当たらないかどうか・・・」
前置きを述べているうちに、だんだん恥ずかしくなり、声がすぼんでしまう。王子はにっこりと、安心させるような笑みを浮かべる。
「かまいませんよ。誰にも言いませんから、どうぞ、何なりと」
「で、では、お言葉に甘えます」
ピアニィはおずおずと口を開いた。言う前からすでに頬が赤い。

「妹のような女性は、恋愛の対象になりえるでしょうか?」
「・・・・は?」
サイラスは一瞬呆気に取られた。が、すぐさま表情を取りつくろった。 勇気を出して発言した女性に恥をかかせてはいけない。
再び微笑を作り、少し考えてから、答える。
「ええ、もちろん。そばにいると安心できるでしょうし、守ってあげたくなるでしょうね」
サイラスの答えに、とりあえず安心したのか、ピアニィはやっと笑顔になった。
「ああ、よかった。否定されなかっただけでも嬉しいです。ありがとうございます」
その嬉しそうな表情に、サイラスは微笑ましさを感じた。彼女の懸念が少しでも晴れたなら、自分も嬉しい。
「何かあれば、いつでも相談してください。私でお役に立てることがあれば、何でもしますよ」
「まあ、もったいないお言葉です。・・・でも、お願いしてしまうかもしれません」
「ええ、どうぞ遠慮なさらず」
「ありがとうございます、サイラス殿下」
秘密を共有した二人は、小さく微笑み合った。
頼りになる相談相手を得て、ピアニィの気持ちはすいぶんと軽くなっていた。









   
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