決別する二人



サイラスは、鼻歌を歌いながら、部屋の扉を開けた。
「おかえりなさいませ、殿下」
王子の装身具を整えていた従者が、作業の手を止め、礼をとる。
「ただいま、サーライル」
応じる声があからさまに上機嫌だったので、サーライルは軽く眉をひそめた。といっても、それは本当に小さな変化だったため、たいていの者は気づくことができないだろう。王子もその一人だった。
サーライルは慎重に口を開いた。
「・・・何か良いことでもございましたか?」
「ああ、そうなんだ! 人の幸せのための手助けができるというのは、なんて気持ちがいいんだろう!」
王子があまりにも無邪気に笑むので、従者は一瞬口ごもった。それからもう一度、慎重に言った。
「殿下。今一度申し上げます。過分なお心遣いは、かえって仇になります」
「ああ、分かってる」
長椅子に腰を下ろしながら、サイラスは笑顔でうなずいた。
「余計なことはしないよ。ただ少し、それとなく勇気付けたいだけなんだ」
「いえ、ですから、それが・・」
「おい、ちょっと聞きたいんだが!」
サーライルの忠告は、バタン、という扉の開く音と、それに続く大音声ににさえぎられた。サイラスが突然の来訪者をにらみつける。
「うるさいなライリーア! 相変わらずノックも挨拶もなしか!?」
「そんなことはどうでもいいから黙れ! 花屋はどこだ!」
「は、花屋?」
サイラスは呆気にとられて怒りを忘れた。その反応を見て、ライリーアがまくし立てる。
「お前もか、まったく! 花屋ってのはな、花を売ってる店のことだよ! 知らないのか!?」
サイラスは顔を赤くした。
「なっ・・・そんなことは知ってるよ!」
「じゃあどこにある!」
「そんなこと知るはずないだろう!?」
「さっき知っていると言っただろうが!」
「それは、花屋というものの定義を知っていると言ったんだ!」
「定義だけでどうする! もっと実践面を重視しろよ! ったく、これだから王子ってやつは」
「ちょっと待て、今のは聞き捨てならない! お前不敬罪で訴えるぞ!」
「訴訟の起こし方は知ってるくせに、なぜ花屋の場所を知らないんだ!」
「だから、その花屋というのはなんだ!?」
「だから、花を売ってる店だよ!」
「そうじゃなくて!」
「お二人とも、冷静に」
見かねたサーライルが割って入った。
「少し落ち着かれた方がよろしいでしょう。そのままでは、建設的な会話は不可能です」
制止の言葉に、両者はにらみあったまま息を整えた。


先に口を開いたのは、王子だった。
「まず、私から聞こう。お前はどうして花屋の場所を知りたいんだ?」
王子の向かいに腰を下ろし、少し気を静めて、ライリーアは答えた。
「運命の乙女に美しい花を捧げるためだ」
「運命の乙女・・・?」
あっ、と声を上げそうになり、サイラスは慌てて口を押さえた。
(そういえば、ライリーアはピアニィ嬢に惚れているんだった)
きれいさっぱり記憶の彼方へ追いやっていた。おそらく、厄介事を回避しようとする本能が働いたのだろう。

こほん、と一つ咳払いをしてから、サイラスは口を開いた。
「ライリーア。話しておきたいことがある。ピアニィ嬢に関することだ」
「ピアニィ嬢に関すること?」
「ああ。言いにくいんだが、その、彼女には・・・そう、すでに決まった相手がいるんだ」
罪悪感を感じつつ、サイラスは少々事実を誇張して言った。『決まった相手』というのは言いすぎだ。しかし、それぐらい言わないと、この男は納得しないだろう。そう思っての判断だった。

ところが、これに予想外の答えが返された。
「・・・ああ、あいつのことか」
心当たりを思い浮かべ、ライリーアはふんと鼻を鳴らした。
「あっ、あいつ?」
サイラスはぎょっとして身じろぎした。恋敵の存在を知っていたことも驚きだが、まさか陛下のことをあいつ呼ばわりするとは。
「お前、知っていたのか?」
「当然だ。彼女のことなら何でも分かるさ」
名前すら知らなかったことは棚に上げて、偉そうなことを言う。
恋敵の話題に気が高ぶってきたらしく、ライリーアは突然立ち上がり、虚空をにらみつけながら拳をつくった。
「俺は断固阻止するからな! 彼女があんなやつと結婚するなんて、認めるものか! たとえ恋敵のほうが俺より身分が高くても、諦めないぞ!」
シリスとピアニィのやり取りを脳内再生し始めたライリーアは、今思い出してもむかむかする!とばかりにまくし立てた。ちなみに、彼の記憶の中では、嫌がるピアニィをシリスが強引に自室に連れ込んでいた。脚色過多である。

興奮して今にもとび出していきそうな同僚を、サイラスはとっさに腰を浮かせ制止した。
「いや待て早まるな! 今回も諦めろ!」
ライリーアが動きを止めた。うろんな顔で振り返る。
「・・・・今回“も”? も、ってのは何だ、おい!」
「あ、いや、ええと・・今回は、だ! 今回は諦めろ! 相手が悪すぎる! フォンタデールといさかいを起こすことは、オーベルジーヌの王子として見逃せない!」
サイラスは慌てて訂正した。毎度失恋を繰り返すものだから、つい口をすべらせてしまった。
「前にも言っただろう。たとえお前がライバルだとしても、手加減はしないと。貴族だろうが王族だろうが、かかってこいっ!」
興奮したライリーアは、腕を振り回してわめいた。王子はその腕を器用によけながら、
(王族だろうがかかってこい、と言ってもねえ)
と、内心ため息をついた。
フォンタデールに来た目的を忘れていやしないだろうか。
このやる気を仕事に向けてくれれば、おそらくもっと優秀な外交官になれるだろうに。

サイラスは疲れたように長椅子に身をあずけ、ライリーアに向けて言い含めるように言った。
「言っておくが、私はお前の応援はしないからな」
「そんなもの、こっちから願い下げだね。自分の力で何とでもするさ」
ふん!と思い切りそっぽを向いて、ライリーアは部屋を出て行った。



(外交官失格、かな)
仕事先の異国で、同僚とけんかしてしまうとは。
ライリーアを見送りながら、少し考えて、サイラスは反省した。
人付き合いは得意な方だと自負しているのだが、なぜだかライリーアとは思うようにいかないのだ。別に嫌いなわけではないのだが。

そういえば、はじめはライリーアの恋が実る可能性を模索しようとしたのだった。自分は裏切り者と言えるかもしれない。
だからといって、彼の恋を応援するわけにはいかない。自分はすでに、リィヤードを応援すると決めてしまったのだ。
それに。
(どう考えても陛下の方が有利だよなあ)
もう今から、ライリーアが失恋する姿が目に浮かぶようだ。サイラスは、同僚のことを少々可哀相に思った。

そして、彼が少しでも傷つかずにすむように、かの二人が早く結ばれることを祈った。









   
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