扉一枚の差



「っ!」
腕に抱えた数冊の分厚い本に視界をふさがれていたサーライルは、前方から走ってきた人物とまともにぶつかった。それでも、急いで体勢を立てなおしたため、本の落下および自身の転倒は何とかまぬがれた。
積み重ねた本を抱えなおしつつ、その横から首を伸ばして前をのぞき込む。
「失礼いたしました。お怪我、は・・・?」
ところが、そこにはすでに誰もいなかった。どうやら、サーライルが本に気を取られているうちに、衝突した相手は姿を消してしまったらしい。
急いでいたのだろうか、と首を傾げつつ、サーライルは再び廊下を歩き出した。




ピアニィは、全速力で廊下を走っていた。
誰かにぶつかった気がするけれど、あやまる余裕もない。それくらい、彼女は取り乱していた。



「私が言いたいのは、政略結婚のことです」
扉をノックしようと手を上げた瞬間、室内からもれ聞こえた声。
それは聞き違えるはずもない、この部屋の主の声――大好きな、幼馴染の声だ。

(政略結婚?)
身の縮むような恐怖にとらわれ、ピアニィは思わず扉から離れた。後ろ向きに大きく後退する。
そのまま向きを変えて逃げ出したくなった。そうだ、出直したほうがいい。部屋の中にはリィヤード以外の人間がいて、今は話し中のようだ。はやくこの場を離れよう。立ち聞きなんて失礼だ。自分は聞くべきじゃない。聞いては、いけない。
――でも、一体何を話しているというの?今聞こえたのは、どういう・・・?
しばらく逡巡した後、ピアニィは再び扉に近付いた。震える手を扉にそえ、そっと耳を寄せる。

「どうせもう、心は決まっておるんだろう? さっさと結婚を決めて、城に呼んでやれ」
今度聞こえてきたのは、彼の父親の声だった。

(城に、呼ぶ?)

誰を?
それはつまり、リィヤードの妻となる女性がこの城に来るということか?
(そんな・・・・)
ピアニィは両手で口元をおおい、よろよろと後ずさった。それからぱっと向きを変え、来た道を来たときの倍の速さで戻った。


走りながら、先ほど聞いた科白が頭の中をめぐる。
『私が言いたいのは、政略結婚のことです』
おそらく彼は、結婚のことについて父親に相談していたのだ。あまり人の近付かない、王専用の仮眠室で。
『どうせもう、心は決まっておるんだろう?』
心は決まっている?
『さっさと結婚を決めて、城に呼んでやれ』
あとはもう、相手を城に迎えるだけ?

だんだん息が切れてきた。それでも足を止められない。
私の知らないところで、何が起こっているの?
結婚の話があるなんて、リィヤードもシリスも、他の誰も、一言も口にしたことはない。
それなのに、先ほど聞いた会話はずいぶん具体的な印象で、すぐにでも実現しそうだった。



結婚を考えている人がいるの?

その人を王宮に呼ぶの? 一緒に暮らすの?


結婚するの?
兄様。


それなら、私は――どうしたらいい?









   
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