運命の動き出す朝



サイラスは早起きだ。
それは旅先でも例外ではなく、フォンタデール城についた翌日も、朝日と共に目が覚めた。
昨夜開かれる予定だった歓迎の宴は、王子一行の旅の疲れを考慮して、今夜に延期になった。前日に夜会などがあれば、さすがにここまで早くは起きられない。

サイラスは手早く軽装に着替えると、廊下にひかえる警備の者に声を掛け、朝の散歩に出ることにした。

建物から離れすぎないよう、注意しながら庭園を歩く。王宮の建物自体はオーベルジーヌ城の方が大きいが、庭は同じくらい広い。もやのかかった庭は、はじめて見る草木を幻想的に演出していた。

しばらくの間ぼんやりした緑を眺めていると、合間に突然鮮やかな赤が出現した。不思議に思って近付くと、輪郭が徐々にはっきりする。
赤の正体は、女性のドレスだった。何のことはない、先客がいたのだ。
(庭師・・・ではないよな)
仕立ての良い裾長のドレスは、庭での作業用とはとても考えられない。それに、色も少々華やか過ぎる。

さらに歩を進めると、それが若い女性だとわかった。サイラスより2,3歳年下だろうか。赤いドレスの肩に、栗色の巻き毛がかかっている。
(この人は・・・)
サイラスがすぐ近くまで来ても、女性はまったく注意を払わなかった。どうやら、目の前の木に夢中で気付かないらしい。青い目を見開き、繊細なまつげが触れそうなほど近くまで枝先に顔を寄せている。


サイラスは、そのまましばらく少女の観察を続け、さらにその後しばらく逡巡すると、少女の斜め後ろあたりからのぞき込んだ。
「おはようございます」
声を掛けると、少女は跳びあがるような動きを見せた。はた目にも分かるほどの驚きようだ。勢いよく振り返る動きに合わせて、栗色の髪がふわりと流れる。
令嬢は、声を掛けてきた相手が誰かを知ると、さっと頬を染めた。
「さ、サイラス殿下」
おはようございます、と消え入りそうな声で挨拶をする。実際、消えてしまいたい心境なのだろう。あれだけおおげさに驚いてしまったのだから。
しかしサイラスは、気にする素振りを見せずに話しかけた。
「植物観察がお好きなんですか?」
恥らっていた令嬢の顔が、ぎく、と不自然にこわばった。微妙に視線を泳がせながら答える。
「ええ、散歩しながら自然を観察するのが毎日の日課なんです」
ほう、とサイラスがうなずく。
「しかし、ずいぶんとじっくり観察なさるんですね。実は、先ほどからずっとあなたの後ろにいたのですが――あなたが気付いてくださるのを待とうかと思いましてね。ところが、あなたはずっとその木に夢中で、どうにも気付いていただけそうになかったので、諦めて声を掛けた次第です」
「まあ、そうでしたの」
少女はドレスのスカートをつかみ、ばつの悪そうな顔で小さくなった。
「ご無礼をお許しください。すっかりこの木に気をとられていたものですから。ひと月ほど前からつぼみをつけ始めていたので、そろそろ花が咲くのではないかと思いまして」
それを聞いて、サイラスはピアニィの背後にある木をひょいと見やった。
「ああ、本当だ。だいぶ つぼみがそろっていますね。その様子だと、あと3日もすれば咲くでしょう」
「本当ですか!?」
ピアニィの顔に、ぱあっと笑みが広がる。胸の前で手を組んで、期待に輝く目をサイラスに向けた。
その素直な反応を、王子は微笑ましい思いで受け止めた。
「私の見立ては信用できますよ。花のことならまかせてください」
サイラスは片目をつむって請け負った。



「昨日、私が陛下と入城したとき、前庭にいらっしゃいましたよね」
「ええ、はい」
王子と令嬢は、並んで王宮の入り口を目指した。話しているうちに、令嬢もいくぶん落ち着いてきたようで、サイラスの目を見返せるまでになった。
「それで、あなたは、ええと・・何とお呼びすればよろしいでしょうか、お嬢さん?」
「ああ、いやだ、すみません」
令嬢は、自らの失態に少々慌てた。自分はサイラスの名を知っていても、サイラスは自分の名を知らないのだ。
「ピアニィと申します、殿下。どうぞお見知りおきください」
令嬢は立ち止まると、柔らかな動きで腰をかがめた。サイラスはにっこり微笑んでこたえた。
「では、改めまして。私はサイラスと申します。お会いできて光栄です、ピアニィ嬢」

自己紹介が終わり、再び話し出そうとして、サイラスはふと考え込んだ。そういえば、彼女の身分がわからないのだった。国王陛下を「兄様」と呼び、王宮の庭に自由に出入りできるのだから、高位の人物であることは間違いないのだろうが・・・。もし込み入った事情があるのなら、直接尋ねるのは はばかるべきだ。
「兄君には、道中大変お世話になりました」
「まあ、そんな。でも、兄がお役に立てたのなら、私も嬉しいです」
迷った末に、とりあえず浮かんだ言葉を使ってみた。兄君、という言葉が妥当かどうかは分からなかったが、どうやら支障はないらしい。ということは、彼女はやはりフォンタデール国王の血縁の姫か。まあ、そうでなければ、人前で堂々と抱き合っていたことにも説明がつかないだろう。
サイラスは、内心でそう結論付けた。


「兄君と仲がよろしいんですね」
「あら、そう思われますか?」
ピアニィは不思議に思ってサイラスを見上げた。サイラスの前でシリスと言葉を交わしたことはないはずだが、一体何を根拠にそう判断したのだろう。
いぶかしむ令嬢に気付かず、王子は続けた。
「私にも、あなたと同じくらいの年の妹がいるんですよ」
その話題に興味を持ち、ピアニィは先ほどの疑問を隅のほうへ追いやった。
「サイラス殿下の妹さんというと、オーベルジーヌの王女殿下ですね」
「ええ。王族は人前に出る仕事が多いというのに、どうにも引っ込み思案で困ります」
サイラスは苦笑した。それから、少し考えるような素振りを見せて尋ねた。
「この国でも、女性に年齢を尋ねるのはマナー違反でしょうか?」
「ええと、そうですね。あまり聞かれない方がよろしいでしょう。私はかまいませんけれど」
「では、あなたはおいくつですか?」
「18です」
王子は表情をゆるめた。
「ああ、私の妹も同い年です。ということは、あなたも私も3歳違いの兄妹がいることになりますね」
ピアニィは、記憶を探ってみた。そういえば、リィヤードが以前「オーベルジーヌの第二王子殿下は、私と同い年なんだ」と言っていた気がする。シリスはリィヤードと同い年だから、サイラスとも同い年なわけか。
と、めまぐるしく考えてから微笑んだ。
「そうなりますね」

それから二人は、打ち解けた様子で会話を続けた。たとえば、こんな感じである。
「国王陛下のお仕事は、あちらこちらに移動することが多くて、兄君もさぞやお忙しいでしょう?」
サイラスは、父王のことを思い浮かべながら言った。おそらく彼女の兄も、何かあるたびに会食やら式典やらに招待されているに違いない。
「ええ、四六時中 動き回っていますわ」
ピアニィは、同意してうなずいた。王に付き従って飛び回る王佐は、たしかに忙しそうだ。
「ご兄妹でお会いになる時間はあるんですか?」
「そうですね、会うのはたいてい休憩時間です。本当はいけないんですけど、私が王の執務室に乗り込むこともありますので」
ピアニィは、いたずらっぽく微笑んだ。
それを受けて、サイラスもまた微笑を返した。兄の執務室にまで入り込むとは、よほど慕っているのだな、と思いながら。


かくして、サイラスの中では『リィヤード陛下=「兄様」=ピアニィ嬢の兄君』という図式が確立された。一方、ピアニィの中では『リィヤード=兄様、シリス=「兄君」』という図式が成り立っていた。
このような食い違いにもかかわらず、この日の朝の二人の会話は、奇妙に滞りなく終了した。









   
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