水もしたたる王子様



「サイラス王子殿下!?」

雨雲の去った暮れの空に、大きな声がこだます。

リィヤードは驚きのあまり、馬から降りることも、挨拶の言葉も忘れてしまった。
無理もない。約束の場所へ着いたら、隣国の王子一行がずぶ濡れで立っていたのだから。


オーベルジーヌの王子一行とは、国境近くの谷で落ち合うことになっていた。国境を越え、フォンタデール国内に入ってから、馬で半日程度の場所である。
そこから王都までは、さらに1日ほどかかる。しかし今回は、人数の多さと、土地に不慣れな人々を案内するということを考慮して、2日かけて王宮へ向かう予定だった。もちろん、途中で立ち寄る宿も、きちんと手配済みである。その他にも、少々心配性な王のために、有能な王佐を中心として周到な準備が重ねられていた。
そんな努力を経て、一同自信を持って王宮をあとにしたのだった。
ところが、いざ落ち合ってみると、なんと相手方は全員濡れねずみである。これぞまさに、予想外のアクシデントというやつだ。


「一体どうなさったのですか? 雨具もお付けにならず・・・」
リィヤードの隣にいたシリスも、事情が飲み込めない様子だ。数日間の旅に出るのに、雨対策を怠るなど、普通なら考えられない。主従そろって首をひねった。
「油断されましたね、サイラス殿下」
二人の後ろからそう言ったのは、シール教授だ。どうやら彼には、事態が把握できているらしい。

「面目ない」
当の王子殿下は、苦笑して肩をすくめると、リィヤードに向き直った。
「お初にお目にかかります、リィヤード国王陛下。オーベルジーヌ国第二王子、サイラス=ルート=オーベルジーヌと申します」
挨拶の口上と共に、優雅に礼をした。マントさばきも手馴れたもので、それが水分を含んで重くなっているものとは到底思えない。

オーベルジーヌの王子・サイラスは、大変見目の良い青年だった。少しくせのある金髪に、薄青の瞳。甘い顔立ちは、いかにもご婦人方の関心を引きそうだ。リィヤードも金髪だが、サイラスの方が色合いが淡い。

「驚かせてしまって、申し訳ありません。私は、雨具を身につける習慣がないのですよ」
「は、あ・・・と言いますと?」
相変わらず馬に乗ったまま、リィヤードは間抜けな声で聞き返した。王佐に小声で促され、やっと無礼に気付き、慌てて馬を降りる。気にすることなく、サイラスは先を続けた。
「この上着にもマントにも、特殊な加工がなされているのです」
「特殊な加工?」
「雨よけの魔法ですよ、陛下」
馬から降りたシール教授が進み出た。
「ヴァージル・シールと申します、サイラス殿下。以後お見知りおきを」
サイラスに礼をとり、教授が顔を上げるのを待ってから、リィヤードは聞き返す。
「雨よけの魔法、とは?」
「衣服の内側に、力ある言の葉を記すのです。そうすると、雨に濡れなくなるのですよ」
「ああ、魔法の呪文、というやつですか」
「ええ」
リィヤード以下、フォンタデールの面々は感心したように頷いた。

「よくご存知ですね」
サイラス王子は目を丸くした。よほど意外だったらしい。シール教授は微笑んで説明した。
「私は一時期、オーベルジーヌに留学させていただいたことがあるのです」
「ああ、なるほど、そうだったのですか」
「えっ、そうなんですか?」
納得するサイラスとは対照的に、今度はリィヤードが意外そうな顔をした。
「私が助教授に就任したばかりのころの話ですから、陛下はご存じないでしょうね」
「助教授に・・・というと、10年以上前の話ですか」
「そうですね、だいたい14年ほど前です」
「ああ、それなら私が知らないのもうなずけますね」
「えっ、あの」
王と教授の会話についていけず、隣国の王子が口をはさんだ。
「あなたは14年も前に助教授になったのですか?」
「はい。・・・ああ、いや、正確には15年前です」
サイラスは、何やら考え込みながら、控えめに次の質問を口にした。
「・・・失礼ですが、年齢をお聞きしても?」
「ええ、殿下。私は今年で30になります」
一瞬押し黙った後、サイラスは言った。
「シール殿、とおっしゃいましたね。あなたにはぜひ、経歴についてお聞かせ願いたいですところです」
「興味がおありでしたら、お話いたしましょう。といっても、学問のことばかりで退屈かもしれませんが」
若き教授はにっこり笑んだ。


「とりあえず、今日はすぐに宿を取りましょう。ご案内いたします」
ほどよいタイミングで、シリスが声を掛けた。彼は、リィヤードたちが話している間、護衛などに黙々と指示を出していたのだ。
この有能な王佐は、はじめこそ驚き戸惑ったものの、即座に頭を切り替え予定を変更した。王子の疲労が激しい場合のために、待ち合わせ場所の近くにも宿をおさえていたのだ。

特に出番もなさそうだったので、リィヤードは再び騎乗し、シリスの提案に従った。
そして、一人考える。

今まで自分は、計画に穴がないよう準備にいそしんできた。しかし、それだけでは駄目なのだ。
本当に必要な準備とは、穴を開けないことよりも、穴が開いた場合に埋める方法を用意することだ。
それから―――

リィヤードは、ちらりと斜め前に目をやった。
従者が用意した馬に 騎乗するサイラス。湿った前髪をつまんで、何やら観察している。うっとうしそうな顔ではないので、雨に降られたこと自体にはさほど頓着していないようだ。


――こちらがいくら用意周到だからといって、あちらも同じとは限らない。
先を見越すというのは、他者の動きも考慮に入れるということなんだな。

リィヤードは、密かにそう心に刻んだ。








   
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