王権の限界



シリスは、扉を開けた直後、すばやく左手を振り払った。
とん、と軽い音をたてて、丸めた紙くずが床に叩きつけられる。

「ああっ、これでは駄目だ!」
いつも通りに執務机に陣取った王は、髪の毛をくしゃくしゃとかき回しながらうなっている。
王佐は、先ほどはたき落とした紙くずを拾い上げ、主のもとへと歩み寄った。
「まだ悩んでおられるようですね」
「くっ・・・問題ない! 明日までには何とかしてみせる!」
強がる王に、王佐は内心苦笑した。
執務机の周辺に散乱した紙くずからみて、ずいぶんと悩んでいるようだ。


リィヤードが、オーベルジーヌの王子に書状をしたためると言い出してから、はや2時間。
一向に筆が進む様子はない。
正式な招待状はすでに送ってあるため、リィヤードが書く書状は簡単な挨拶程度で済むはずなのだ。なのだが・・・
「明日までには、ということは、今日中には無理だと見切りをつけたわけですね」
「・・・」
王は、沈黙をもって返した。
シリスは、苦笑いを表情に出す。
「急ぐ必要はないのですよ。正式な書簡というわけではないのですから」


と、扉の外から、早足で進む足音が聞こえてきた。どんどんこの部屋――王の執務室に近付いてくる。
王と王佐は、そろって扉に目を向けた。
ノックの音が響き、それに対してリィヤードが入室の許可を出す。


「失礼いたします!」
扉が開くと同時に、ふわっと明るい色が広がった。
長い裾をひるがえし、くるりとターンしながら執務室に入ってきた公爵令嬢は、王の正面で止まると、スカートを指先でつまみ正式な礼をとった。それから、ぱっと顔を上げて笑む。
「陛下! 式典用のドレスが仕上がりました!」
「そうか、もうできたんだ」
リィヤードは立ち上がり、執務机を回り込んでピアニィの前に立った。そのドレス姿を眺め、微笑む。
「とっても可愛いよ。春に咲く花の妖精みたいだ」
甘い声で、甘い言葉で、(本人としては)至極真面目に感想を述べた。
それを聞いて、一瞬ピアニィの瞳に複雑そうな色が混じったが、リィヤードは気付かない。
「やっぱりピアニィには、クリーム色が似合うね。ピンクは言わずもがなだけど」
満足そうに、しきりにうなずいている。
ドレス自体は淡紅色だが、上に羽織ったショールはクリーム色だ。もちろん、先頃のリィヤードの言葉を受けて、後から大急ぎで用意したものである。
しかし、令嬢の笑顔は、そんな苦労を露ほども感じさせない。

「では、ダンスの練習に付き合ってくださいますよね? 陛下」
予想外のことを言われ、リィヤードはぎょっとして身を引いた。
「えっ、今から? いや、それはちょっと・・」
そんな彼の右腕を抱きしめるように捕らえながら、ピアニィは畳み掛けた。
「駄目です、付き合ってくださらなければ離しません。ね、お願いします、少しだけ」

リィヤードはとっさに考えた。
では、ここで「付き合わない」といえば、このまま彼女は離れることなく傍にいてくれるのか・・・
が、いやいやいや、と大急ぎでその考えを追い払う。

そんなことを考えているうちに、令嬢にぐいぐいと腕を引かれ、開いたままになっていた扉から連れ出された。少し廊下を歩き、比較的広めの部屋に入る。
リィヤードは、そこでやっと我に返った。
そこには、3人の男性がいた。皆、手に楽器を携えている。室内には、彼らが腰掛けている椅子以外、めぼしい家具はほとんどない。
「それでは、お願いしますね」
ピアニィの言葉にうなずくと、3人はおもむろに楽器を構えた。ピアニィはリィヤードに向き直る。
「さあ、陛下」
にっこりと差し出された手を、リィヤードは呆然と見やった。
最初から「付き合わない」という選択肢などなかったことに、ようやく気がついたのだ。



どうやらこの国の王には、『拒否権』という権限は与えられていないらしい。









   
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